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貼る守奉製

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「貼る守」とは

御守本体の裏面に特殊な粘着剤を用いており、通常のシールのように一度剥がしてしまうと粘着が弱まるような事もなく、何度も繰り返し貼ったり剥がしたりする事も可能で、剥がした後も貼付け面が汚れる事もありません。台紙とセットでOPP袋に個別包装をして納品を致します。

普段持ち歩く携帯電話やスマホの裏に「貼る守」を貼付け携帯する事でお守りを携帯する事が可能です。

日常的に使ってもらえる事で信仰の意識が高まり 参拝客への PR に効果的です。オリジナルデザインで製作致します。100枚から製作可能。

※当方で過去に製作した御守になりますが、一部お客様が製作したものもございます。
また、当方で製作した御守は過去製作したものを含みまして、現在の貼る守の名称とは異なる場合がございます。

青山熊野神社(東京)代々木八幡宮(東京)幡ヶ谷氷川神社(東京)正伝寺(東京)願生寺(東京)四谷須賀神社(東京)市谷亀岡八幡宮(東京)鎧神社(東京)三島神社(東京)浅草橋須賀神社(東京)銀杏岡八幡神社(東京)下谷神社(東京)品川神社(東京)居木神社(東京)羽田神社(東京)猿江神社(東京)花畑大鷲神社(東京)鷲神社(東京)牛天神北野神社(東京)小石川大神宮(東京)富岡八幡宮友の会(東京)初音森神社(東京)波除神社(東京)昌香庵(東京)六所神社(東京)深沢神社(東京)太子堂八幡神社(東京)瀧野川八幡神社(東京)平塚神社(東京)七社神社(東京)熊野町熊野神社(東京)御嶽神社(東京)五方山熊野神社(東京)葛飾熊野神社(東京)多田神社(東京)拝島日吉神社(東京)相原諏訪神社(東京)金山神社(神奈川)若宮八幡宮(神奈川)神鳥前川神社(神奈川)杉田八幡宮(神奈川)身代わり不動尊(神奈川)岡村天満宮(神奈川)菊名神社(神奈川)根岸八幡神社(神奈川)金刀比羅大鳥神社(神奈川)瀬戸神社(神奈川)本村神明社(神奈川)妙福寺(神奈川)龍神楽所(神奈川)妙恵寺(神奈川)海南神社(神奈川)西岸叶神社(神奈川)森戸大明神(神奈川)片瀬諏訪神社(神奈川)圓應寺(千葉)子守神社(千葉)松戸神社(千葉)龍光山 高徳院(千葉)八枝神社(埼玉)神祇大社(静岡)高塚熊野神社(静岡)光恩寺(群馬)熊野若王子神社(京都)京都光明地蔵院(京都)朝日山 西圓寺(京都)止止呂支比賣命神社(大阪)奈加美神社(大阪)西代神社(大阪)朝日神明社(大阪)渡川神社(宮崎)蓮ケ池諏訪神社(宮崎)廣瀬神社(宮崎)浦幌神社(北海道)虻田神社(北海道)海音寺(北海道)梅聞寺(北海道)高龍寺(北海道)白山宮(愛知)吉田神社(愛知)弁栄庵 法城寺(愛知)高尾神社(広島)賀羅加波神社(広島)鷺神社(広島)極楽寺(広島)信行寺(広島)聖母宮(長崎)小浜神社・猿場稲荷神社・諏訪神社(長崎)飯盛神社(長崎)飯冨神社(鹿児島)精矛神社(鹿児島)蒲生八幡神社(鹿児島)高嶺神社(兵庫)赤穂大石神社(兵庫)松帆神社(兵庫)大門厳島神社(兵庫)加佐登神社(三重)神戸宗社(三重)星合はて神社(三重)敢国神社(三重)津峯神社(徳島)櫛田神社(富山)愛宕天満宮(新潟)神田山神社(新潟)鶴田八幡宮(青森)櫛引八幡宮(青森)法霊山おがみ神社(青森)酒田日枝神社(山形)国魂神社(福島)土津神社(福島)仲宿八幡宮(福岡)杉杜白髭神社(福井)春日神社(香川)廣田八幡神社(香川)薬王寺(香川)加茂神社(和歌山)廣八幡宮(和歌山)福良天満宮(大分)大田原神社(栃木)赤城神社(栃木)浅間神社(栃木)西法院(岡山)鎮西西宮社(佐賀)妙誓寺(佐賀)白山神社(佐賀)常光寺(宮城)円龍寺(宮城)正安寺(長野)大法寺(長野)長野県護法大会(長野)三澤寺(長野)長光寺(長野)生島足島神社(長野)彦嶽宮(熊本)雲昌寺(秋田)新善光寺(滋賀)石浦神社(石川) 順不同・敬称略

​制作実績 神社仏閣様(全国)

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​制作実績 神社仏閣様(東京)

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東京
渋谷区
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代々木八幡宮

代々木八幡宮がお祀りしている神さまは応神(おうじん)天皇=八幡=さまです。 八幡さまは古くは朝廷や武家からの崇敬をあつめ、国家鎮護、破邪顕正の神と仰がれました。 その強いご神徳から「厄除開運」の神さまとして全国で鎮守の神として祀られました。

〒151-0053 東京都渋谷区代々木5丁目1−1

TEL/03-3466-2012

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青山熊野神社

当神社は、元和五年徳川頼宣卿の邸内(現在の赤坂御所)に奉斎されていた御宮を町民の請により正保元年正月七日現在地に移遷し、翌年四月本殿拝殿その他造営し完成。青山総鎮守と仰ぎ奉り熊野大権現より神仏分離の令により社号を青山熊野神社と改称された。

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前2-2-22

TEL/03-3408-0065

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幡ヶ谷  氷川神社

幡ヶ谷は、その大半以上が幕府直轄の地であったために、宗教取締も厳重に行われていたに相違ない。そのために総ての住民が産土神氷川神社を中心として団結し、村の信仰の一つとして象徴としていた。

〒151-0071 東京都渋谷区本町5-16-2

TEL/03-3377-4828

新宿区
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四谷 須賀神社

社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸の川上に八俣の大蛇を討ち平らげ拾い「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事 に基づき名付けられた名称です。

〒160-0018 東京都新宿区須賀町5−番地

TEL/03-3351-7023

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市谷亀岡八幡宮

当神社は太田道灌が文明11年(1479年)、江戸城築城の際に西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりである。「鶴岡」に対して亀岡八幡宮と称した。

〒162-0844 東京都新宿区市谷八幡町15

TEL/03-3260-1868

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鎧神社

 醍醐天皇の時代(898~929)、理源大師の徒弟である 筑波の貞崇僧都、行基作と伝えられる薬師如来像がこの地に祀られ、円照寺が創建されました。 

〒169-0074 東京都新宿区北新宿3丁目16-18

TEL/03-3371-7324

台東区
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下谷神社

天平二年(730年)に上野忍ヶ岡に祀られたのが創めと伝えられ、寛永四年寛永寺建立に当り、社地を上野山下に移されました。明治五年までは、「下谷稲荷社」とし称していました。社殿天井絵「龍」は横山大観の力作です。

〒110-0015 東京都台東区東上野3-29-8

TEL/03-3831-1488

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須賀神社

西暦601(推古天皇9)年の夏、武蔵国豊島郡に疫病が流行した。村民等が牛頭天王に病難平癒を祈願したところ、尽く快気するという神徳が顕われたため、当地に祠を創建したとされる。

〒111-0053 東京都台東区浅草橋2丁目29-16

TEL/03-3851-7044

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三島神社

弘安4年、元寇の役の際、河野通有は氏神である大山祇神社(三島大明神)に戦勝祈願して出陣、大山祇神社の神使、白鷺の導きによって勝利を得た。その帰陣にあたり、夢の中で受けたという神のお告げにより、武蔵国豊島郡に三島大明神の分霊をお迎えし、上野山内の河野氏の館に遷座鎮祭したことが始まりという。

東京都台東区下谷3丁目7番5号

TEL/03-3873-0172

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銀杏岡八幡神社

源義家公 奥州征伐のため下向の折、当地で休憩中川上より銀杏の枝が流れてきた。義家公はその枝を丘の上にさし立て「朝敵退治のあかつきには枝葉栄うべし」と祈願した。奥州平定の後再びこの地に帰り至ったとき銀杏が大きく繁茂していたので公は神恩に感謝し太刀一振を捧げ、八幡宮を勧請したのが、康平五年(1062)で当社の創祀と伝える。

〒111-0053 東京都台東区浅草橋1-29-11

TEL/03-3851-1691

品川区
品川神社.png

品川神社

今からおよそ800年程前の平安時代末期の文治3年(1187)に、源頼朝公が安房国の洲崎明神(現・千葉県館山市鎮座 洲崎神社)の天比理乃咩命を当地にお迎えして海上交通安全と祈願成就を祈られたのを創始とします。

〒140-0001 東京都品川区北品川3丁目7-15

TEL/03-3474-5575

居木神社.png

居木神社

ご創建の年代は明らかではありませんが、古い記録によりますと、往古鎮座の地は武蔵國荏原郡居木橋村(現在の山手通り居木橋付近)に位置していたようです。

〒141-0032 品川区大崎3-8-20

TEL/03-3491-7490

港区
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願生寺

当山、願生寺は 1602(慶長 7)年、証蓮社誠誉上人尋西永閑大和尚の開創と伝えられています。
以後、変わらず高輪の地で歴代住職29世を数えるに至っています。境内には江戸時代に庶民の信仰を集めた延命地蔵尊、港区の文化財でもある牛供養塔などがあります。

〒108-0074 東京都港区高輪 2-16-22

TEL/03-3442-7637

正傳寺

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当山の開創は、慶長七年(1602)にさかのぼります。当山はその昔、豊臣秀吉や徳川家康等の時代に活躍した名君である、第百七代天皇、後陽成帝(ごようぜいてい)が晩年の一時期を過ごされた草庵に始まると言われます。
その後、この草庵は九州松尾山光勝寺(まつおざんこうしょうじ)(日蓮宗)の江戸出張所として改められ、
松尾山十九世、尊重院日億(そんじゅういんにちおく)上人によって「松流山正伝寺」の名で正式に建立されました。

〒104-0015 東京都港区芝1-12-12

TEL/03-3451-1614

大田区

羽田神社

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羽田総鎮守・羽田神社は、羽田の「氏神様」として羽田全域から現羽田空港まで広い氏子区域を有します。特に航空会社各社の崇敬の念も篤く、正月から年間を通じて運航安全・航空安全祈願の参詣があります。また、文久元年(1861年)に疱瘡(天然痘)が蔓延。将軍・徳川家定が病気平癒祈願に参詣し治癒した故事により、多くの参拝者が病気平癒を祈願しています。

〒144-0044 東京都大田区本羽田3-9-12

TEL/03-3741-0023

千代田区
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富岡八幡宮友の会

「富岡八幡宮友の会」は、富岡八幡宮という江戸時代から日本を代表してきた神社の由来に深く思いを起こし、感謝を込めて、これからの東京の発展と、日本の安全と繁栄を願い、世界に貢献することを誓う有志が集まり、設立を企画したものです。

〒102-0083 東京都千代田区麹町3-7-1 半蔵門村山ビル西館6F

TEL/03-3262-5226

富岡八幡宮友の会.png

富岡八幡宮友の会

「富岡八幡宮友の会」は、富岡八幡宮という江戸時代から日本を代表してきた神社の由来に深く思いを起こし、感謝を込めて、これからの東京の発展と、日本の安全と繁栄を願い、世界に貢献することを誓う有志が集まり、設立を企画したものです。

〒102-0083 東京都千代田区麹町3-7-1 半蔵門村山ビル西館6F

TEL/03-3262-5226

中央区
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波除神社

江戸開府に伴う江戸市街地の整備工事の最後、激しい波風に困難を極めた海面の埋立工事をピタリと納めた御神徳に「波除」の尊称を奉られ、雲を従える龍・風を従える虎を一声で威伏させる獅子の巨大な頭が奉納され、此を担ぐ事に祭礼も始まった。

〒104-0045 東京都中央区築地 6-20-37

TEL/03-3541-8451

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初音森神社

鎌倉中期、約700年前の創祠と伝えられる。江戸初期まで馬喰町初音ノ森(現在、中央区東日本橋に儀式殿を有する)鎮守として祀られていたが、郡代屋敷建設のため現在地に移される。日本一の繊維問屋街で商売繁盛の神様として信仰が篤い。

〒103-0004 東京都中央区東日本橋2丁目27-9

TEL/03-3863-1308

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晶香庵

海老原 愛真(あいしん)四柱推命鑑定士高野山真言宗 僧侶(阿闍梨)教師四国霊場第二十二番札所高野山準別格本山白水山医王院平等寺徒弟秩父札所公認先達西国三十三所公認先達(株)BEST WISHES 代表取締役社長晶香庵 庵主

世田谷区
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六所神社

天正十二年十二月、平貞盛の数世の孫服部貞殷が府中の六所宮現大国魂神社を勧請して赤堤の鎮守と定め、服部家の祈願所として奉斎したのが始めです。天明七年九月社殿再建、明治七年には赤堤村社と定められました。

〒156-0044 東京都世田谷区赤堤2-25-2

TEL/03-3321-5396

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深沢神社

永禄七年(1564年)伊豆の三島神社の分社として斎祀された。明治七年村社となり、大正四年社殿改築し村内天祖神社(二社)、八幡神社、稲荷神社(二社)、御嶽神社、山際神社計七社を合祀し、深沢神社と改稱した。

〒158-0081 東京都世田谷区深沢5-11-1

TEL/03-3701-8595

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太子堂八幡神社

平安後期、源氏が陸奥安部氏征討の折、武運を祈願したと言われ、それ以前に創建されたものと思われる。江戸期には、天領・大名領・旗本領に細分化されていた太子堂村は、八幡様の祭礼を以って心を一つにしたと言われ、その心は今日にも受継れている。

〒154-0004 世田谷区太子堂 5-23-5

TEL/03-3411-0753

北区
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瀧野川八幡神社

創建は、鎌倉時代前期の建仁2年(1202年)といわれていますが、「江戸誌」によりますと文治5年(1189年)に頼朝が勧請したとの記述があります。いずれにしましても古くより祀られ、今年で816年もしくは829年もの歴史を有する神社であります。

〒114-0023 東京都北区滝野川5-26-15

TEL/03-3916-2890

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七社神社

七柱の神々を祀ることが社名の由来です。明治時代以前には旧古河庭園内に祀られていましたが、明治初年に一本杉(樹齢千年)神明宮の現在地に遷座しました。大鳥居前に一里塚(日本橋より2里目)があり、旅人(旅行者)の守護神としての信仰もあります。

〒114-0024 東京都北区西ヶ原2-11-1

TEL/03-3910-1641

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平塚神社

平塚神社の創立は平安後期元永年中といわれています。八幡太郎源義家公が奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜されました。近義は拝領した鎧を清浄な地に埋め塚を築き自分の城の鎮守としました。

〒114-0016 東京都北区上中里1-47-1

TEL/03-3910-2860

板橋区
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熊野町熊野神社

創立は応永年間、庭田(後の岩田)主水正氏兼(もんどのしょううじかね)が、武州豊島郡中丸村に移住し※、鎮守様として崇敬されてきた。庭田氏は常に敬神の念深く同族の繁栄を祈り氏神様として崇敬した。
※ここに熊野権現を分祀

〒173-0025 東京都板橋区熊野町11-2

TEL/03-3956-2019

練馬区
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御嶽神社

神社創建の年代は定かではないが文化・文政年間(1804-29)と推定される。社殿には御嶽神社神紋の他、十六弁菊家紋を屋根棟・御扉・斗拱等に付しているが古い記録を焼失しているので、菊花神紋の使用を許可された理由は不明である。

〒177-0042 東京都練馬区下石神井4-34-9

TEL/03-3996-7161

葛飾区
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五方山熊野神社

長保年間 今から千余年前に 陰陽師安倍晴明により 陰陽五行説に基づき 三十間五角の境内に 古代の石剣を御神体として 紀州熊野の神を勧請し祀られた。東京における唯一の安倍晴明縁りの神社として知られる。

〒124-0012 東京都葛飾区立石8-44-31

TEL/03-3693-5623

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葛飾氷川神社

正治元年(1199年)武州一の宮(現在の埼玉県さいたま市)氷川神社を勧請して、下千葉村(現在地)の鎮守として奉斎される。また、同敷地内には1178年に源頼朝公により、関西方面から移された八王子神社も御鎮座されている。

〒124-0006 東京都葛飾区堀切5-38-10

TEL/03-3602-4522

中野区
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多田神社

満仲公は第56代清和天皇の御曽孫多田源氏の祖神である。幼少より文武両道に秀で国家に凛然として輝き、武門の棟梁たる勅諚を賜り国家鎮護の大任を課されたのみならず、或は沼地を開拓して広大なる田畑を造成し、或は河川を改修して農耕の拡大に寄与し、併せて源氏興隆に確固たる基礎を築かれた。

〒164-0014 東京都中野区南台3-43-1

TEL / 03-3381-4376

昭島市
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日吉神社

江戸時代初期、天正年間(1573-1591年)、隣接する大日堂再興の折に旧拝島村総鎮守山王社として現在地に建立されたと言われています。さらに桜町天皇の寛保元年( 1741 年)九月五日に宗源宣旨を受け山王大権現の称号を賜りました。

〒196-0002 東京都昭島市拝島町1-10-19

TEL/042-544-0636

町田市
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相原 諏訪神社

養和元年(1181年)別当高岳坊長温が諏訪大社を勧請し相原大明神と称した。明治四十四年七国の神明社、大谷神明社、橋本御嶽社、根岸日枝神社を合祀し、大正二年境山王社、橋本稲荷社、陽田疱瘡社を合祀した。

〒194-0211 東京都町田市相原町1743

TEL/042-782-2753

​制作実績 神社仏閣様(神奈川)

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神奈川県
川崎市
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金山神社

金山神社は、神奈川県川崎市川崎区の若宮八幡宮境内にある神社。かなまら様の俗称がある。毎年4月の第1日曜日に催される「かなまら祭」で知られる。また、毎年11月1日には「鞴祭神符授与祭」が催され、鍛冶職人や金物を扱う会社等による野鍛冶行事や、奉納舞神楽が行われる。

〒210-0802 川崎市川崎区大師駅前2-13-16

TEL/044-222-3206

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若宮八幡宮

大師河原干拓の総鎮守として六郷神社の祭神応神天皇の御子である仁徳天皇を淀川治水工事の実績から祀ったのがはじまりとされている。創建以来川崎大師平間寺に属しその鎮守社とされてきたが、明治の神仏分離の際に平間寺から独立し、当時の平間寺38世貫主、佐伯隆基の親族が宮司となった。

〒210-0802 川崎市川崎区大師駅前2-13-16

TEL/044-222-3206

横浜市
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神鳥前川神社

文治元年(1185)3月、武蔵国桝形城主稲毛三郎重成の創建であり、白鳥前川社と称したが、何時の頃よりか白鳥を転じ神鳥と書き、之を「シトト」または「シトトリ」と呼び今日に及んでいる。明治43年12月23日、無格社神明社(祭神伊弉諾尊、伊弉冊尊)を合祀した。

〒227-0054 神奈川県横浜市青葉区しらとり台61ー12

TEL/045-983-0707

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杉田八幡宮

 天喜五年、源頼義公とその子源義家公とが勅を奉じて、奥州の安部貞任を討ち、宗任を下し、戦勝を記念して、山城国石清水八幡宮を勧請し、永く源氏の武運長久を祈願しようと、頼義公は鶴ヶ岡八幡宮を、義家公は当社を勧請されました。

〒235-0033 神奈川県横浜市磯子区杉田5-2-1

TEL/045-774-0579

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身代り不動尊

横浜別院は、病気平癒と厄除け、交通安全で有名な寺院です。山号が金運山とあり境内や本堂には大黒天や恵比寿様が祀られています。年始や新年度には企業や個人事業者の方々が商売繁昌祈願をされにきます。

〒241-0802 神奈川県横浜市旭区上川井町800

TEL/045-921-8955

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岡村天幡宮

京都の北野天満宮より勧請し、岡村天満宮を創建しました。「学問の神さま」「文化・芸能の神さま」として信仰される菅原道真公を信仰し、現在では受験生をはじめ多くの参拝者の姿が見られます。

〒235-0021 神奈川県横浜市磯子区岡村2ー13ー11

TEL/045-751-2008

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菊名神社

菊名町総鎮守八幡神社は明治6年12月村社に列格、同所無格社神明社、同杉山神社、同阿府神社を合併し、昭和10年8月22日社名を菊名神社と改称し、その後氏子区域の発展に伴い、社殿を修築、社務所・神楽殿・その他の施設を完備した。

〒222-0011 神奈川県横浜市港北区菊名6丁目5-14

TEL/045-431-9344

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根岸八幡神社

江戸時代初期の慶安4年(1651年)の検地(土地所有調査)の際、鎮座地が滝頭村となってから約100年後、すなわち明和3年(1766年)に現在地へ遷座、例祭も8月15日に改め、その後明治41年に三社(天照皇大神、宇佐八幡大神、大山祇大神)を合祀し、今日に至っている。

〒235-0007 神奈川県横浜市磯子区西町1-1

TEL/045-753-6666

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金刀比羅大鷲神社

安政六年 (一八五九)、 讃岐国象頭山 (四国琴平町) の金毘羅大権現を勧請して創建されました。初めは金毘羅大権現と称せられ、現在の横浜公園の地、港崎遊廓にありましたが、慶応二年十月二十日の大火に類焼され、翌三年、吉原町に御遷座し、更に明治五年に再び高島町七丁目の海側に遷座し、現在の御社号に改称せられたのであります。

〒232-0021 神奈川県横浜市南区真金町1ー3

TEL/045-231-3208

瀬戸神社

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大昔、今日の泥亀町から釜利谷東一帯は大きな入江でした。この入江と平潟湾とは、今日の瀬戸橋の位置にあたる狭い水路状の海峡でつながっていました。そしてこの小さな海峡は、潮の干満の度に内海の海水が渦を巻いて出入りする「せと」でした。古代の人は水流の険しい「せと」を罪穢れを流し去ってしまう神聖なところであるとして、豊な幸をもたらしてくれる神々をここに祭りました。これが瀬戸神社の起源です。

〒236-0027 神奈川県横浜市金沢区瀬戸18-14

TEL/045-701-9992

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本村神明社

本村神明社は、横浜市旭区本村町にある神社です。本村神明社の創建年代等は不詳ながら、伊勢神宮が天禄元年(970)当地武蔵国御厨郷榛谷の地に影向、それより川井に、次いで二俣川に遷御せられた際の地が当社だともいいます。江戸期には二俣川村及び今宿村の総鎮守として祀られ、昭和7年には村社に列格していました。

〒241-0024 神奈川県横浜市旭区本村町39

TEL/045-366-1889

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日蓮宗 星川山 妙福寺

妙福寺は身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗の寺院です。創建は慶長(1596-1615)年間。開山は隨泉院日意。開基は第4世長昌院日解。元禄(1688-1704)年間の頃に、第6世養泉院日脱が堂宇を再興しました。明治時代になり、第37世立法院日壽が現山門内側に本堂や庫裡を再建。昭和に入ってから、42世取要院日芳が山門を再建し、本堂、客殿、庫裡等を山上に再興しました。

〒240-0054 横浜市保土ヶ谷区西谷二丁目4番1号

TEL/045-381-3223

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龍神楽所

「祝」「勝利」「平和」「復興」東西南北を守護する四神とともに日本文化を発信!

15人の神主+お坊さん+師匠とその弟子たち。

日本古来の「うた」や「舞」「楽器」に触れて。

全国の仲間と雅楽を演奏しています。

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七面山 妙恵寺

昭和初期に開創された「七面教会」が前身で、平成9年に寺号公称して、晴れて「妙恵寺」というお寺として再スタートしました。
妙恵寺の本堂には、久遠のお釈迦様、日蓮大聖人を中心に、七面天女・鬼子母神・帝釈天・救世観音等をお祀りしております。

〒232-0066 神奈川県横浜市南区六ッ川2-38-8

TEL/045-741-3101

三浦市
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海南神社

海南神社は、神奈川県三浦市にある神社。 三崎港から市街地を少し山手に入った地点に鎮座する。 相模国三浦総鎮守。 藤原資盈、資盈の后である盈渡姫、筌龍弁財天、及び地主大神を祀る。 源頼朝がお植えになられた御神木や、龍神様の形をした御神木等がある。

〒238-0243 神奈川県三浦市三崎4丁目12-11

TEL/046-881-3038

横須賀市

西岸 叶神社

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当社は養和元年(1181)神護寺文覚上人が京都、石清水八幡宮より勧請し創建しました。その由縁は、文覚上人が源頼朝の為に源氏再興を発願し、治承年間(1177〜1180)上総国(千葉)鹿野山に参篭しました。源氏氏神と称え奉る石清水八幡の神に祈念をし、源氏再興の本願が叶えられれば勝地を探し求め八幡の一社を建立、末永く祭祀をせんと誓いをたてました。

養和元年大願成就の前兆を感得し、社殿建立の勝地を求め、各地遍歴の末に鹿野山に相対する浦賀西岸の現在地に石清水八幡宮の神を祭祀する社宇を建立し、文治2年(1186)神の霊験により源氏再興の大願が叶うたところから、叶大明神と称するようになりました。

〒239-0824 神奈川県横須賀市西浦賀1-1-13

TEL/046-841-0179

三浦郡
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森戸大明神

今から約850年前の永暦元年(1160年)、平治の乱に敗れ伊豆に流された源頼朝公は、三嶋明神(現在の静岡県・三嶋大社)を深く信仰し源氏の再興を祈願しました。
治承4年(1180年)、そのご加護により旗挙げに成功し天下を治めた頼朝公は、鎌倉に拠るとすぐさま信仰する三嶋明神の御分霊を、鎌倉に近いこの葉山の聖地に歓請し、長く謝恩の誠をささげたと伝えられています。

〒240-0112 神奈川県三浦郡葉山町堀内1025

TEL/046-875-2681(午前9時〜午後4時)

藤沢市

片瀬諏訪神社

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当神社は今から一二八〇年余り前(奈良時代)養老七年(七二三年)に信濃国(長野県)諏訪大社からの御分霊として上下両社に鎮座されました。片瀬の地は現在とは地形が異なり、以前は水面の覆われた大きな沼湖であり、それが諏訪湖を取り巻く諏訪の地に良く似ていたことからこの地が選ばれたと思われます。スワとは州端(スワ)で水辺の端に鎮座した所から名付けられました。その後幾多の変遷をたどり、昭和十四年に下社、同五十九年には上社を改築し、大鳥居、社号表、春日灯篭、狛犬が寄進され記念事業として参道が整備されました。

〒251-0032 神奈川県藤沢市片瀬2-21-16

TEL/0466-22-5843

​制作実績 神社仏閣様(千葉県)

圓應寺

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奈良県桜井市の長谷寺を総本山とする、真言宗豊山派に属する寺院です。1533年(天文2年)に宥慶法印により開創され、元は香取市牧野の観福寺の末寺でありました。
左手観音堂に安置されている本尊は十一面観世音菩薩。
奈良時代の僧である行基菩薩の御作と伝えられており、安産・子育ての観音様として近隣の人々からの信仰を集めていました。
​周りからは親しみを込めて「えんのうじ」と呼ばれております。

〒 287-0204 千葉県成田市伊能2457

TEL/0476-73-2100

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子守神社

子守神社は、千葉市花見川区幕張町にある神社である。旧社格は村社。千葉県指定無形民俗文化財。 1194年に大須賀胤信によって建立された社を由来にもち、下総三山の七年祭りに子守役として参加するようになったことを機に子守神社と称されるようになった。 

〒 287-0204 千葉県成田市伊能2457

TEL/0476-73-2100

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